せいかつとしゅみ

こんにちわ、齊藤カズヒロです。思ったこととかあったこととか書きます。ボチボチ

「大喜利ミーツ僕」 vol.5 ~男もすなる生大喜利を~

大喜利ミーツ僕」とは僕が大喜利を始めたきっかけや大喜利を通した経験を記録した連載です。

前回からの続き…

アメーバピグで「おっぱい漫談」をしたことろまで話しましたね。

僕はインターネットがなければ大喜利をやっていなかった可能性は高い。

ネットが僕が人と接するときにいくらか緩衝材になってくれた。

「オフ会」という言葉を初めて聞いたとき、インターネットで会った人と人が会うなんて不気味、怖い、と思っていたが今はそれが普通だ。

2013年か2014年、ピグで大喜利をしていた僕に、オフ会の話が舞い込む。

のぉさんと中岡さんが共催って感じだったのかな?

ピグで大喜利をしていて、なおかつ関西に住んでいる人を集い、カラオケで大喜利をするというのだ。

「いやーちょっとー…」ってコメントを打って断った。
のぉさんは「しょうもな!」って言ってたと思う(笑)

僕はネット弁慶マンなので、「ネットとリアルが違う!」とバレるのが怖かったのだ。
あと、リアルで大喜利がしたいとも思ってなかった。

そんな感じで1回目は断った。
そしたら半年後くらいに、また誘われた。

正直、「しつこ!」と思ったけど、オフ会にはそんなに誰も彼もが誘われてないのを知ってる。
ある意味、認められてるのかなと思った。

僕は「筋肉ライダー(ララライダー)が参加するなら参加しますよー」という、わけのわからない条件を出した。

ピグで筋肉ライダーとよく遊ぶことが多く、なんとなく内気な人なのかなと思ってたので、同じような人がいたら安心!という、そういうことなのだ!!!

筋肉ライダーと僕はオフ会に参加することになった。

オフ会は心斎橋のジャンカラで行われた。
メンバーはのぉさん、のぉさんの奥さん、中岡さん、筋肉ライダー、おすし、僕の6人。

まずはオモジャンをした。
単語と単語を組み合わせて新しい言葉を作る遊びだ。

ルール説明で、自分の牌を出す前に説明をしてもよい、と言われたけど、説明すること=話すことに自身がなかったので、毎回何も言わずに牌を出し続けた。

自分が出した牌で笑いが起こったこともあった。
どういう言葉が出来上がったかまでは覚えてない。

次に大喜利をした。

スケッチブックを渡された。そこに回答を書くスタイル。

お題が出るも、なかなか回答がまとまらない。
弱い回答は思いついても、それをスケッチブックに書いて出す勇気がそのときはなかった。
スベることを今以上に気にしてた。ネットでやるのとリアルでやるのとは全然違う。

いくつかお題をやってオフ会は終わった。
なんとか書いて、そこそこウケた回答もあった。

回答がそんなに面白くなくてものぉさんや中岡さんがツッコんだりして助けられた部分もあったと思う。あんまり覚えてないけど。

初めての生大喜利はあんまり楽しい感じはしなかった。これはオフ会自体が悪かったというわけでは全くなく、僕の性格の問題。

しかし今考えると、この経験は後に僕が生大喜利を本格的に始めるきっかけにもなったんだと思う。

ありがとう!のぉさん、中岡さん、筋肉ライダー!

オフ会が終わった後日、のぉさんが僕のことを「石みたいやった」と言った。
いてまうぞ!